いきなりですが、なぜ我々は「書く」のでしょうか?
また「書く」にはどのような「目的」があって、どのような「背景」があるのでしょうか?
昔から我々の私生活に密接な存在であったこの「書く」という作業。
「会社のレポート」だったり、「大学の卒論」、普段の「メール」や「LINE」など現代においても我々に密接な「作業」といえばこの「書く」という作業です。
しかしそんな「書く」において我々はいまいち、その目的と影響力を把握できていないんですね。
そもそもなぜ「手紙を書くのか?」なぜ「論文を書くのか?」なぜ「ラブレターを書くのか?」その問いに答えられる方は少ないはずです。
これからは「AI」が台頭する時代に突入していくと言われているなか、「書く」に関する業種だけはその「AI」にとってかわられる心配がないと言われております。
なぜなら「AI」には「文」自体を書くことができても、その「文」を論理的に構成して、人々の心を動かし得る「文章」を書くことは決してできないからです。
そんな「書く」のもつ「正体」や「影響力」を知ることは今後我々の生活に多大な影響を及ぼすはずです。
今回、そんな「書く」について解き明かしてみようと思うのは、現在「個人ブロガー」として、また「Webライティング能力検定1級」を保持者として、まさにこの「書く」で収益を得ている筆者です。
現に私もこの「書く」の恩恵にあやかってるわけですが、そんな「書く」をなりわいとしている以上、今回「書く」がもつ魅力をあなたにも是非お伝えしなければと考えたのです。
本記事をお読みいただければ「なぜ書くのか?」の疑問を解決でき、「書く」の影響力も同時に理解できるはずです。
文章力をみがきたいひと、書くことを義務化されているひと、書くのがしんどいと思っているひとに特におすすめな記事となっております。
それでは参りましょう。
なぜ書くのか?その背景は?
さて、早速本題ですが、我々人間は「なぜ書く」のでしょうか?
その背景にはどのような「人間心理」があるのでしょうか?
ここではまず、「なぜ書くのか?」その行為に基づく「人間の心理」について以下の項目ごとに見ていきたいと思います。
- 自分の思いを伝えたいから
- 自分の欲求を誰かとシェアしたいから
- 「対面」でなくとも自分の思いを伝えられるから
- 記録に残せるから
- 字を書くことが楽しいから
1、自分の思いを伝えたいから
「なぜ人は書くのか?」
その背景としてまずあげられるのは「自分の思いを伝えたいから」というものがあるでしょう。
例えばあなたも一度くらいは「ラブレター」を書いたことがあると思いますが、なぜこの「ラブレター」というものを我々人間は書くのでしょうか?
それは勿論「自分が好意をもっている相手に、自分の気持ちを伝えたいから」ですよね。
当然、「自分が好意をもっている相手に、自分の気持ちを伝える場合」というのは、直接会って、直接告白すればいいのですが、そのようなことは実際には恥ずかしくて中々できないものです。
特に思春期のころというのはそんなことをして、「嫌われたらどうしよう!」とか「気まずくなりたくない!」といった羞恥心を抱えがちですから、余計にこの「書く」という手段が役に立つはずです。
というのもこの「ラブレター」であれば、直接本人に言えないようなことでも、相手に自分の思いを伝えられることができるのです。
結果はどうであれば、この「ラブレター」を介せば、相手に自分の気持ちを「告白」することができ、そこから良好な関係を築くことができるんですね。
これは「ラブレター」だけにとどまりませんよね。
「企画書」を書くのも「自分の企画の詳細を相手に伝えて、自分の企画の良さを認めてもらいたいから」です。
「ビジネスメール」を書くのも「取引相手に今後のスケジュールを正確に伝えて、その後の仕事をスムーズに運べるようにしたいから」です。
そうした「自分の思いをつたえて、その後自分に見返りを求める際」の手段として、古来より人はこの「書く」という作業を行ってきのです。
2、自分の欲求を誰かとシェアしたいから
またなぜ書くのか?、その理由としては「自分の欲求を誰かとシェアしたいから」というのも要因として挙げられますね。
というのも、我々人間というのは「思考を働かせる生き物」です。
一日の間で、それこそ本当に多くの思考を働かせております。
そして同時に、我々人間はその抱いた思考を「誰かにシェアしたい、共有したい」と思う生き物なんですね。
例えば、現代でいえば休日にいった「カフェ」があまりにも雰囲気がよくて、店員さんがイケメンで、提供された食事もおいしかった場合、その「カフェ」で自分が過ごした一時を「誰かにシェアしたい」と思う生き物なんですね。
簡単に言えば「私はこんなに素敵なカフェにいったんだよ~」という「自慢」をし、「共感」をしてもらいたいんですね。
これは「承認欲求」という欲望に当てはまるのですが、こうした欲望を人間であれば誰しもが抱えているんです。
そしてその欲求をシェアするための手段として手軽に行える「書く」という作業を行うんです。
例えば現在は「インスタグラム」や「ツイッター」などのSNSがありますが、本当に手軽に「書いたもの」を発信できるようになりましたよね。
現在誰もがこうしたSNSを使い、写真付きの投稿文をさかんにのせたり、シェアしたりするのにはこうした背景があるんです。
先程も述べた様にこの「書く」であれば、自由に自分の思いを形にすることができます。
自分の思いを自由に言語化できる人間は、こうした「自分の欲求を誰かとシェアしたい」という欲求がある以上、「書かずにはいられない」という状況にあるのかもしれません。
3、「対面」でなくとも自分の思いを伝えられるから
また「書くこと」は、先程も述べた様に他人に何かを伝えたい時に活躍する手段です。
もちろん「他人に何かを伝える際」というのは、この「書く」ではなく、「会話をする」という手段も選ぶことができますが、「会話」ですと、「対面」という状況がまず大前提となります。
なので伝えたい相手と「会える」のであればこの「会話」に勝る「情報伝達手段」はないでしょう。
しかし、遠い所に住んでいる人であれば「対面」は難しいですし、「対面」となると緊張してしまったりしてうまく「会話」できないという人も多くいらっしゃるかと思います。
そんなときに「手紙」や「メール」を「書く」ことによって、遠いところに住んでいる人にも自分の思いを伝えられるし、緊張せずに自分の思いを伝えることができるようになります。
なので「書く」という手段を用いるんですね。
特に最近では、LINEやSNSの台頭で、それこそ遠い異国の地にいる人にもこの「書く」を介せば自分の思いを伝えるのが容易になりました。
「遠い所にいる人に自分のありのままの思いを伝えたい」そういった願望は人間にはかねてからあり、その願望をかなえる手段としてこの「書く」が用いられてきたのです。
4、記録に残せるから
また「書くこと」で、記録に残せるという点も挙げられるでしょう。
例えば現代で言えば、ビジネスメールを先方とやり取りする目的というのは、単に自分の思いを伝えられるからだけではありません。
そのビジネスメールを何時何分に送り、どのような内容を送ったのか、その結果を残せるから「送る」のです。
そうすることによって、もし何かトラブルが生じた際、ビジネスメールをおくった日付がきちんと記録されているので、先方に誤りがあったのか、こちらに誤りがあったのかを調べることができるのです。
そうした「記録」や「証拠残し」としてもこの「書く作業」は活躍するんですね。
ビジネスのやり取りをメールなどで行うことが多い現在、よりこの「書く」の重要さが問われている気がします。
また古来より偉人たちが自分の「生きた証拠」を一筆残したりしていたのにも、「書く」には時代を超えても、残り続ける力があることを知っていたからだし、いまでも我々が「日記」を書いたりするのは「書く」を通して自分の「生きていた証明」を記録したいという願望があるからなんです。
5、字を書くことが楽しいから
なぜ「書く」を行うのか?
その背景には「字を書くことのが楽しい」からというのもあげられるでしょう。
古来より「字を書く」という作業は、人間における最大の娯楽とされてきました。
そもそもなぜ「字」を書けるようにならなければいけないのか?というと、人間が生きていく上で必要なコミュニケーション能力を向上させるために必要になるからです。
なので小学校など幼少期ではまず「字をならったり、字を書いたりすること」から覚えさせられます。
その分誰からも親しみを持たれている、「行為」でもあるんですよね。
それに、人とのコミュニケーション上、「書く」を行う場合は文字の正確性や、文字のキレイさが求められますが、自分だけで楽しむ分であればキレイ、汚いの見た目は重要ではありません。
例えば誰にも読まれない自分のノートであれば、誰であってもストレスなく自由に文字を書くことができますね。
なのでこの「書く」が案外、心の拠り所になったりするんですね。
現に私も、国語の授業自体は好きではありませんでしたが、ノートに字を書くことだけは好きでした。
つまり「書くこと」って楽しいんです。
自分の考えていることを、どんどん形にしていける「書く」は、みんな大好きな作業なんですね。
現に私がいまでも毎日、日記を書く習慣があったり、ブロガーをやっているのには、「書くこと」が楽しくて仕方がないという思いがあるからなんです。
作家を志すのは当然文章で稼ぎたいと思っているからです。彼らは文章が好きだし、文才があるからですね。またプロの作家になることで時間の制限がなく執筆活動に専念することができるようにもなります。在宅で仕事ができ、仕事をする時間とプライベートの時間を自由に決められるのはとても魅力的ですよね!
なぜ書くのか?そこにある最大の目的とは?
さて、ここまで「何故書くのか?」その背景にはどのような人間心理があるのか?について解説してきました。
「書く」というのは古来より、情報伝達としての手段や娯楽として用いられてきたということがお分かりいただけたかと思います。
それではそのような背景を通し、我々人間が「書くこと」を行う、最大の目的とは何でしょうか?
結論からいって我々が「書く」を行う目的は、「自分の書いた文章で相手の心を動かすため」です。
例えば、小説家であれば、いかに自分の書いた文章で読者の心を動かせるかが自身を売り出す際に肝心になります。
というのも小説家は自分の書いた文字だけを商売道具にしておりますので、生き残っていくためには自分の織り成す文章でどれだけ多くの人を感動させられるかが肝心になるのです。
その際、自分の書いた作品が多くの人から共感をもらえれば、多くの人に書籍を購入してもらえることができるようになり、その分多く稼げるようになります。
またもっと身近なところでいえば、我々が「プレゼンの企画書」を書くのも、ただ意味もなく書いているわけではありません。
その「企画書」を読んだ人の心を動かし、共感され採用してほしいから「企画書」を書くわけです。
「ラブレター」も当然そうです。
自分の思いを伝え、相手の心を動かし、好意のある異性とお付き合いしたいから「ラブレター」を書くわけなんですね。
このようにどんな「書く」にも「読者の心を動かしたい」という目的が根底にあるんですね。
だから我々は「書く」のです。
これが仮に相手が心を持たない「ロボット」であれば、「ラブレター」を書くなんてことは誰もしないのです。
それ以前に自分の書いた文章が誰にも読んでもらえないのだとすれば、我々は「書く作業」をしなくていいのです。
「読者の心を動かしたい」。これが「書く」における最大の目的といえるでしょう。
どのように書けば読者の心を動かせるか?
「文章を書く最大の目的」が「人の心を動かすこと」というのは今述べてきた通りです。
それでは人が「心を動かされる文章」というのはどういう文章なのでしょうか?
ここでは「心を動かされる文章」に関しての条件をいくつか見ていきたいと思います。
あなたが今後「心を動かしたい文章」を書きたいと考えた際に、参考にしてみて下さい。
ここでお伝えするのは以下の通りです。
- 論理的であること
- 熱量をもたせること
- 事実確認に基づくデータを引用すること
- メリット、ベネフィットを提示すること
1、論理的であること
まず読んでくれた読者の心を動かすためには「論理的な文章」構成を何よりも心掛けなければなりません。
「論理的」な文章というと少し難しく聞こえるかもしれませんが、要するに話の論理が破綻していない文章ということです。
例えば、以下の例文をご覧ください。
明日は雨になるらしい。だから私は仕事の帰りに近くのスーパーに寄らなければならない。
上の例文では、「明日は雨だからスーパーに寄らなければならない」と言っております。
しかし明日が雨だからと言って、必ずしもスーパーによる理由にはなりませんし、読んでいる読者もそのフワッとした論理展開に頭を悩ませてしまいます。
つまりこのような例文は文章論理が破綻しているため、読者としては読みづらいんですね。
しかし例えばこれを、
明日は雨になるらしい。しかし私は備えの傘を一つももっていない。だから私は仕事の帰りに近くのスーパーに寄って傘を買っていこうと思う。
と、ここまで前後の文章に論理性を築いてあげることで、読者はスーパーに寄らなければならない理由に納得することができます。
読者に感動してもらうためにというよりも、文章術においては、何よりも「論理的」でなければ、そもそも読者に自分の書いた文章を好んで読んでもらうことは難しいし、そのさきにある「感動」へ読者を導くこともできません。
2、熱量をもたせること
以上の「論理的」であることを踏まえて、ここからはより実践的な話をしていきます。
「文章」に熱量をもたせることも読者の心を動かす際には重要となります。
例えば、あなたはガジェット機器が大好きで、普段から愛用している「ワイヤレスイヤホン」があるとしましょう。
その「ワイヤレスイヤホン」を文章で紹介しようと思ったら、あなたはイキイキとその「ワイアレスイヤホン」について熱く語れるのではないでしょうか?
「地下鉄でも騒音が気にならない!」とか、「充電が長持ちする!」とか、「寝る直前にこのイヤホンをつけて音楽を聴けば安眠効果が得られる!」とか、その「ワイヤレスイヤホン」に対する愛情が次から次に湧いて出てくるはずです。
そしてそのような熱量は読んでいる読者にも伝わるものだし、その熱量によって読者は心を動かされるのです。
その際、どんな巧みな文章術よりも、その熱量の方が勝る場合がありますね。
これが仮に、自分のまったく興味のない商品を紹介したりだったり、興味のないジャンルに関して記事を書くであれば、文章にそのネガティブな思いが乗ってしまって読者を感動させることは難しくなります。
感動させるためにはまずは「熱量」。
これが非常に大切になります。
3、事実確認に基づくデータを引用すること
また、文章内に「事実確認に基づくデータを引用すること」も読者の心を動かすポイントになります。
例えばあなたが「靴の環境破壊に関する記事」をふとしたきっかけで、読むことになったとします。
その中で、「実は現代人は年間3足も靴を履き替えると言われており、破棄される靴の数はなんと60億足にも及ぶということが最近の調査で分かった」という一文を目にすれば、あなたは仮にそこまで靴の環境問題に関心がなかったとしても少なからず、危機感や関心を覚えてしまうはずです。
そして「もう少し気をつけよう」とかって思ったりするんですね。
このように事実確認にもとづくデータを文章内で引用することは、読者に「新しい気づき」を与えることができるので、読者の心を動かす際に効果的なのです。
4、メリット、ベネフィットを提示すること
またこれは「商品レビュー」などの記事を書く際に限った話になりますが、文章内にメリットやベネフィットを提示することも重要となります。
例えばあなたがブログ運営を行っていて、普段使っている家庭用品の感想を記事にしたとします。
その際、ただ単に商品に関する「感想」を述べただけでは、読者の心を動かすことはできません。
しかしその商品を買うとどのような「メリット」があるのか?その商品をかうことでどのような「未来」がもたらされるのか?をきちんと記事内で提示すれば読者はその商品の魅力にひかれ、その商品を購入したい!と思うかもしれません。
このような「メリット」、「ベネフィット」の提示は、商品レビュー記事を書く際の基本になりますが、これ以外にも「商品レビュー」記事を書く際に有効となる「条件」が様々にあるので、気になる方は以下の記事をご覧ください。
書くことがあたえてくれるもの
本記事は「我々は何故書くのか?」というテーマをもとに話を進めております。
そもそもの「書く目的」は「読者の心を動かしたいから」ということは先程述べさせていただきました。
またその際、「読者の心を動かすための秘訣」についても言及してきましたが、「書くことが巧みになれば」我々はどのような恩恵にあやかることができるようになるのでしょうか?
ここでは「書く」を通して得られる効果について簡単に見ていきたいと思います。
- 文章力が向上する
- 左脳が鍛えられ記憶力がよくなる
- 毎日が楽しくなる
1、文章力が向上する
まず「書く」ことで「文章力が向上する」ということがあげられるでしょう。
そもそも「読者の心を動かす文章を書く」際に、求められるのは書きたいことを正確に文章にする力です。
なのでその自分の書きたいことを書くために、自分の「今の気持ちを正確に言葉にするとどのような表現になるのか?」といったことを常に考えていかなければならないんですね。
普段から分からない単語があれば自ら率先して調べるようにる癖が身につき語彙力も向上するし、話に論理性をもたせるために接続詞の使いかたにも気を遣えるようになります。
そしてそれが繰り返されるために、文章力が向上していくのです。
先程も述べた通り、「書く」ことで、自分の思いを読者に伝えることができ、ひいてはその読んでくれた読者の心さえも動かしてしまうことができます。
その際、「文章力」さえ備わっていれば、読者の心を動かせるだけでなく、この「書く」でお金を稼ぐことだってできるようになるのです。
2、左脳が鍛えられ、記憶力がよくなる
また「書く」を繰り返しおこなっていけば、左脳が鍛えられます。
そして左脳が鍛えられれば記憶力が良くなるんです。
ここに、「書くことの大切さ」にまつわるある検証結果があります。
少し解説すると、ある研究グループが大学生200人に対し、「とある内容に関する論文」を5分間で暗記するように命じます。
その際、暗記する方法として、
- テスト向けの詰め込み勉強のように何度か読み返す
- 題材に関する「コンセプトマップ」[概念等の相関を表す地図]をつくる
- 読んだ文章に関する自由形式のエッセー(小論文、作文)を10分間で書く
このいずれかの方法で行うようにと命じるんですね。
そして1週間後、この論文に関する小テストを行った際、③の読んだ文章に関する自由形式のエッセー(小論文、作文)を10分間で書くという方法で暗記した学生たちのテスト結果が他の生徒たちと比べて著しく高かったのです。
つまりこの結果が物語るのは、「書く作業」がどんなに記憶力に好影響を及ぼすかを物語っており、引いては記憶力向上をもたらす行為だということを裏づけたのです。
3、毎日が楽しくなる
また「書く」行うことは、左脳を刺激し、記憶力を促す力がありますから、勿論思考力が向上します。
そして思考力が向上することで、物事を論理的に考えたり、自分を客観的にみることができたり、冷静でいられるようになります。
その結果、つまらないことや、小さい事にいちいち悩まないようになるんですね。
つまり「毎日が明るく楽しくなる」んです。
「少し話が飛躍しすぎてない?」と思われるかもしれませんが、本当です。
というのも普段から「書く」を行っている人は、物事を論理的に考えたり、自分を客観的にみることができるので、自分の短所や長所、他人の短所や長所をきちんと把握できるんですね。
人にはそれぞれ良い部分があって悪い部分があるということをきちんと理解できるようになるんです。
だから他人の評価をいちいち気にしなくなるし、毎日が明るく生活していけるというわけなんです。
このようなことは以外にも「書く」ことで培われていくものなんですね。
書くは現代人の最大の武器
我々はなぜ書くのか?についてお送りしておりますが、それでは最後に「文章力こそ自分の身を守る最大の武器である」ということを述べさせていただいて本記事を終えたいと思います。
なぜ「書くのか?」それは、「書く力がなければ生きていけないような時代に突入するから」ということも述べられるかと思います。
というのも今後、ビジネスで活躍するには文章力が必要になると言われております。
2020年1月、人事部の人材育成担当者を対象に、「日本漢字能力検定(漢検)」がある調査を行いました。
その調査とは「企業における文章力の課題について」というものです。
その調査でわかったことは「95パーセント以上の企業」において、従業員にもとめられるスキルは「文章力」であるということでした。
従業員の昇給に関しても、この「文章術」が基準になるとまで言われており、稼ぐためにはこの「文章術」が必須な時代に突入してきていることがわかるのです。
こうした事実がすでにあるんですね。
伝えたいことを正確に、わかりやすく文章にする能力である「文章力」は結局、いつの時代、どんな仕事においても求められている能力なのです。
また今後は、「AI技術」が進歩し、人間は仕事を失うのではないかという懸念が騒がれております。
当然、そうしたこともあり得るでしょう。
というのも人間のできることのほとんどが「AI」にはできてしまうのですから。
しかしそんな中「AI」であってもできないのが「論理的思考」です。
そして「AI」には相手の心を思って「文章」を書くということができません。
なので「論理的な思考」でおりなす文章を書ける人は強いし、仕事を失うこともないんですね。
今後、生きていくためには「書く」が必要になります。
そしてその時代はもうすぐ目の前にやってきているのかもしれません。
「自分の身を守るための文章術」を身につけるためにも、今のうちから「書くこと」に慣れ親しんでおくことをおすすめします。
なぜ書くのか?まとめ
ここまで「なぜ書くのか?」に関してお伝えしてきました。
長編となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
さて、なぜ我々人間は「手紙」や、「企画書」、「メール」などを書くのでしょうか?
それは「書く」は人間があらがえない欲求を満たす手段となるからです。
そして「書く」には「読者の心を動かしたい」という「最大の目的」があるからです。
またいつの時代でも「書く力が求められている」という社会背景もあるでしょう。
だから我々人間は「書く」のです。
「書くのか?」その目的を今一度しっかりさせることで我々はより豊かな日常を送っていけるはずです。
本記事をお読みいただいている方は、「書く」ことに興味があり、普段からこの「書く」ことが密接な方であることを予想します。
そんなあなたは私より断然「書いて稼ぐ」ことに向いているはずです。
あなたの生活をより良くするためにも、是非本記事をきっかけに「書いて稼ぐ」人生をデビューしてみてはいかがでしょうか?
以下の記事よりブログまたはwebライターの登録方法を解説しております。
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