人は感情を抱えた生き物です。
辛さ、幸せ、楽しさ、こういった様々な種類の感情を普段から抱いており、その感情を元に行動を起こし、そして人生を歩んでいきます。
良い感情、悪い感情、様々な感情が我々の生活の中にはあるわけですが、その様々な感情のおかげで普段の生活に色彩が加わっていくわけですね。
人に怒られて辛くなったり、初めていった場所で新鮮な気持ちになったり、人生を歩んでいくと本当に多くの感情に出会うことになります。
とりわけ「感動」という感情は我々が普段抱える感情の中でも、最も大切にしたいと思える感情ではないでしょうか?
映画をみて感動したり、誰かの話を聞いて感動したり、誰かからもらった手紙を読んで感動したり。
この感動があるおかげで生きる勇気が湧いてきたり、不安な気持ちがなくなったり、人生って素晴らしいなと思えたりするわけです。

明日も生きる活力となる。これが「感動」です。
しかしこの感動に関しては普段の生活の中ではなかなか出会う機会がなく、また積極的に出会おうと思ってもなかなか出会うことのできない希少な感情です。
人は感動に出会いたいです。できることなら毎日感動したいです。私も毎日この感動を探し求めています。
そんな稀有な存在の感動を我々一人ひとりが意識的に作り出すことができたらあらゆる場所で人々を喜ばせることができると、そう思いませんか?
例えば誰もが書ける文章によってそれができたらどうでしょう?
我々が普段の生活の中で最も多く触れているのがこの文章です。
SNSだったり、学校で配られるプリント、会社のプレゼン資料。毎日必ず一回はどこかで必ずこの文章に目を通すはずです。
例えばその技術を磨き、SNSでその感動を発信することができれば毎日多くの人を喜ばせることができるかも知れません。
そんな人が増え、またそんな活動が多くなったらきっと世界はもっと良くなりますよね。
あるいは誰かに手紙を書く場合や、会社での企画資料などを書く場合においても、この技術が加わることで緊迫した或いは殺伐とした雰囲気も少しは改善されるかも知れません。
この感動があればその人を喜ばせるだけじゃなく、その人をその文章で動かすことが可能になります。もちろんその文章で誰かを励ますことも、生きる勇気を与えることもできるわけです。
人を感動させる文章を書けるようになる事で、今後自分の人生は確実に豊かになります。
そしてそれができるようになれば、文章でお金を稼ぐことも、その文章を使って人々を感動させることも可能になります。
本記事ではそんな感動する文章に秘密について見ていきたいと思います。
なぜ人を感動させる文章を書きたいのか?書く必要があるのか?


まずなぜ人を感動させる文章を書きたいのか?またそれはそもそも書く必要があるものなのか、この辺はまずは明らかにしてみましょう。
収益を上げたい
いきなりゲスなことを言います。
私は社会人です。もうすぐ40歳になろうという、なかなかのおっさんです。
そんな私は個人ブロガーをやっておりまして、文章を生業としているんですね。
ブログの収益というのは基本的には広告収入です。
自分で記事を書き、その記事を読みにきてくれたユーザーに対し、何かしらの商品を宣伝する。
そしてその宣伝から商品やサービスが実際に購入されることで、その紹介料として報酬をもらっているわけです。
私はそれで生計を立てているわけですね。
要するに自分の文章を読んでもらったユーザーに対し、何かしら購入をしてもらわないといけないわけです。
しかし文章で何かを購入させるというのは、結構ハードルが高いんです。
顔も見えない、声色もわからない、得体の知れないおっさんのいうことだし、それが果たして本当なのか?こうした心理がユーザーには働くからです。
そんな条件のもと商品を購入してもらうには、何が必要かというと、それが今回の感動なんですね。
私が過去最も販売した商品にメンズヘアオイルがあります。
これはかれこれ5.6年前に書いた記事で、当時はまだ男性が美容にそこまで熱心ではない時代で、その時代に書いた記事です。
私としてはメンズ美容が今後ますます需要が拡大すると予測くらいはしていたので、とりあえず書いて、運よく売れればいいやくらいに思っていました。
そんな何の気なしに書いた記事ではあったのですが、これが結構売れたんです。
ご存知の通り私はおっさんです。美容などわかるはずもないです。今も当時も。
そんな不器用な人間が一丁前にヘアオイルを購入し、そのレビューを行ったんですね。
おしゃれなお店に実際に行く様子や、慣れないきらびやかな店内で実際に購入する雰囲気だったり、使い方のレクチャーだったりを、その慣れないなりに一生懸命書いたんです。
だけどなぜかそれがユーザーの「共感」を得たんですね。
おそらくユーザーの中にもメンズヘアオイルに興味はあるけれど、お店に行くのは気が引ける人だったり、使ってみたいけど実際の使い方がわからない人だったりと、そういった状況の人がいたんです。
その人からするとありがたかったわけですね。私のレビューが。
それにこんなおっさんがヘアオイルを使っている、俺も使っていいんだ!そのような思いにもさせられたのだと思います。
さらに当時はそういった需要があったのに対し、記事の供給も追いついてなかったという状況も味方して、多くのユーザーがその記事を見てくれたんです。
慣れないおっさんの商品レビュー。
一言で言うとこれだけだったのですが、それが実は多くのユーザーの共感を呼んだのです。
いわゆる今回の感動ですね。
私はその時にこの感動の強さを知りました。
感動があれば人は動く。そして収益を上げられる。
それが仮にハードルの高い文章という土俵であっても、感動を呼ぶトリガーは必ずあり、その要素を含めることで、それは現実となる。
このことを確信しました。
文章を生業とする人間からするとこれは嬉しい発見でした。
そしてそれからはこの感動を追求しているわけですね。
文章であってもこの感動を交えることで人を動かすことができます。そして収益を上げられます。
だから私は感動する文章を書きたいと思うわけです。
いきなりゲスな話をしてしまいすみません。
今後は文章だけで人を動かさなければいけない状況が多くあるから
少し人の話をします。
我々は何にするにしても見返りを求めます。タダでは起き上がらない。何か見返りがないと行動できないというのが我々人間というものです。
普段我々が何か行動を起こす際というのは、この見返りがあるから行動を起こすわけですね。
会社に行くのも給料がもらえるから。誰かに親切にするのも、逆に親切にしてもらいたいから行ったりするわけです。
そんな見返りばかりを求める人間が、もっとも多く使うコミュニケーションツールが文章です。
今はこの文章が非常に我々の生活に深く浸透しており、会社でのやりとりも、プライベートにおける友人とのやりとりも今は基本全て文章で行われるようになりました。
そのやり取りにおいては、どうしても相手にこちらの要求を飲んでもらわないといけない場面があったりします。
会社などでは本当に多くこういった場面が出現しますよね。そしてそれができないことには評価をされない、上司に怒られる。そんな状況に陥ったりするわけです。
しかし相手は先ほどもお伝えしたような見返りばかりを求める人間です。
簡単にはこちらの要求は飲んでくれません。
それに文章はやはり声色がわからないし、文面で見ると非常に冷淡に見えることもあります。温度感がわからないのが最大のデメリットです。
仮に会話であれば、相手の懐に入り込み、おねだりするような感じで接すれば、もしかしたらどんなに薄情な人間でもこちらの要求を飲んでもらえることがあるのかもしれない。
しかしそういったことすら文章だと行えないのです。
それでもなんとかして文章のみでこちらの要求を飲んでもらう必要がある。ましてや相手に何もメリットがないような状況で。
それを聞き入れてもらうことが、本人の有益に繋がったり、会社の有益に繋がったりするわけですからどうにかして行ってもらわなければいけないわけですね。
そこで今回の感動テクニックですが、人は感動があれば動きます。仮に見返りがなくても動きます。
例えば自分に宛てられた手紙の中で、その書き手の多いが強く伝わってきたからお願いを引き受けただったり、その文章から相手が非常に困っている感じが伝わったので引き受けただったりといった経験を私は実際にしたことがあります。
私はその文章を読んで、何故かその依頼を受けてもいいと思えたんですね。そこでは何かしらの感動のトリガーがあったからだと思うんです。
私は本当に頑固者でケチです。それこそ本当に見返りがないと動きません。
そんな私でも、なんの見返りもないのにも関わらずその要求を飲んだという経験があるんです。
文章にはこうした感動のトリガーを含ませることができます。それこそ自由に、あなたの技術次第で。
そしてその感動トリガーを含ませることができれば、仮に見返りがなくてもその人の心を動かすことができ、要求を飲んでもらえるのです。
今は文章によって生活が成り立っている面が非常に多くあります。そして今後ますますこの傾向は顕著になります。
場合によっては相手の損益にもつながるようなこともなんとか依頼して実行してもらわなければならない状況があったりします。特にビジネスにおいてはこういった状況を文章だけで伝えなければいけない状況に確実になっていきます。
しかしそれを行えないことには自身の生活も危ぶまれる。
生活を守るためにというと少し大袈裟ですが、我々は今後この文章で感動を起こし、相手を文章のみで動かす必要性が出てきそうです。
生きるためにも文章で人を感動させなければならない。だから書けるようになる必要があるということではないでしょうか。
感動という感情について


そもそも感動ってどういう状況だと思いますか?
これが分かれば、今回の感動する文章の書き方に関してもさらにその秘訣を掴めやすくなるはずです。
そもそも感動の成り立ちって?
インターネットで調べたところ「感動」には以下の定義があります。
- 強い感銘を受けて深く心を動かすこと
- 人の心を動かしてある感情を催させること
- 他からの刺激に反応すること。
- 他からの作用を受けて動くこと。また、動かすこと。
引用
要するに何かしらの文章や映像、会話を見聞きして、それを受け取った自分の心が動くこと、これが感動です。
なので、感動を生み出すためにはまずその元となる「何か」が必要となります。今言ったような文章や映像、会話なりの媒体ですね。今回でいえば文章です。
また当然そこにはそれを「受けとる人」というのも必要となります。
これがこの感動を生み出している要素と構成になります。
このことを意識し、続いては今の理解をより深めるために今回の文章の特徴と、それを受け取る人の特徴について紐解いていきたいと思います。
文章の特徴
それではまず感動を与える「何か」。ということで、今回でいえば文章媒体ですね。
まずはこの文章媒体の特徴について紐解いていきましょう。
文章とは簡単に言えば書き手が伝えたいことを言葉にし、それを文面にして届ける手段のことです。要するにコミュニケーションツールですね。
会社でも学校でも、プライベートでもこの文章は多用されます。
何かを伝えなければいけない時というのは昼夜問わず、場所問わず毎日多くありますからね。そんな時にこの文章が便利で、役割を果たします。
会社の企画書や、仕事のやり取り、プライベートのLINEやり取りにおいても、我々は自分の思いを相手に伝えたいからこの文章を使うわけです。
文章を書く背景にはこうした書き手による「伝えたい思い」と、それを他人と共有したいという2つの思いがあるわけです。
また文章は書き手が自由に内容を書くことができるという一面もあります。
何か文章を書くにおいては、まず書き手の思いがあって、その書き手が持ち合わせた言葉によってその思いが紡がれているわけですが、そこでは言葉の組み合わせも自由。言葉の連なりも自由。またどんだけ時間をかけてもいい、ぶっちゃけ何を書いてもいい。このような条件のもと書かれるわけです。
例えば愛の告白をするためのラブレターがあります。
書き手にはまず溢れんばかりの伝えたい思いがあって、できることならそれを相手に理解してもらいたい。その期待を込めて書くわけですね。
またそこでは自由に時間を書けることができる。誰にも制限されることなく自由に書くことができる。
それが実際に相手に承諾されるかどうかはわかりません。しかし書き手側は皆こうした条件で文章を書いているわけです。
自由に自分の伝えたい思いを伝えられる手段。要するに文章の特徴とはこれです。
しかしその特徴を必ずしも毎回活かせるとは限りません。
例えば契約書においてはきちんと法律に基づいて書かなかればいけませんし、作文であれば先生に合格点をもらえるように書かなければなりません。
その特徴が完全に活かし切れるのは時と場合によるということですね。
しかしやはり文章の特徴はそこなので、その特徴がどういった状況において最も輝けるのかを追求することで、この文章が最も輝ける瞬間を見つけられるはずです。
自由に自分の伝えたい思いを伝えられる手段。
そこでいうとやはり何にも縛られないプライベートの空間、これが一つ言えるのではないでしょうか。
例えばその中でラブレターや、両親への手紙、こういった状況で自分の思いをいっぱいに込めて、好きなようにかく。また時間をかけて書くことができるので、自分の思いを整理できる。言葉を吟味できる。よってより良い内容に仕上げことが可能となります。
すると相手にも喜んでもらえる、感動してもらえる可能性も高くなるかもしれません。
受け取る人、要するに人の特徴を押さえること
感動体験は、
これが要するに構造です。
続いてはその何かを受け取る人についてです。
これって要するに人の特徴ということですね。
文章とは、いま述べたように書き手側が自分の思いを伝えたいために書くものです。
その文章を読んでどう感じるのか、どう受け取るか、結局それは読者の現在おかている状況に委ねられているのです。
どんなに書き手が文章力が巧みでも、それを読む人にその文章の良さを理解する能力がなければ感動は生まれません。
なので読者のその文章を読む際に置かれている状況というのが非常に重要になるわけですね。
ここでは今回の感動を恣意的に作り出すため、どういった人がその感動を引き起こしやすいのかを確認してみたいと思います。
ここでわかった人物像が、その文章を読んだ際に感動してくれやすいターゲット像です。
- 元から感受性が豊かな人
- 過去に大きな経験をしている
元から感受性が豊かな人
感受性が豊かな人は感動しやすいと言われております。文章を読むにおいても、映画を観るにおいても。この感受性の豊かさが1つ感動体験を引き起こしやすくしているわけです。
感受性とは、簡単にいうと外界の刺激・印象を受けいれる能力。物を感じとる能力のことです。
そもそも感動というのはいわば心の動きです。誰しもに多かれ少なかれ感動するポイント、感動する心の地点があって、何かを見聞きした際に、その地点に心が移動することで感動が生まれるわけですね。
なので感動しやすい人というのはまずは自分の心の中にその感動のポイントがいくつも設置されていること、また心の動きも柔軟で、何かを見聞きした時に自動でその感動ポイントに向かってしまうこと。
さらに些細なきっかけでもそのポイントに到達できてしまうことが特徴として挙げられるのです。
これが要するに感受性が豊かな人の特徴ですね。
しかしそれは生まれながらの状況が大きく関わっており、生きていく上で身につけられるものではありません。
中にはこの感受性が豊かな人も、乏しい人もいるわけですね。
過去に大きな経験をしている
感受性というのは生まれながらのステータスです。生きていく過程で身につくものではありません。
しかしこれまでの自身の実際の経験によって、その経験を思い出すことで人は感動することがあります。
例えば過去に大きな悲しい事件にであった経験、大切な人を亡くした経験、困難に打ち勝ち喜びを得た経験。
こうした経験を思い起こすと人は辛くなったり、悲しくなったり、嬉しくなったりします。
その経験の背景にはその経験によって得た確かな「思い」があり、その思いが感動の引き金となっているんですね。
例えば私は過去サッカーを長くやってまいりました。小学生の時、兄の影響でサッカーを始めて、それ以来ずっと続けてきたサッカーです。高校を卒業してからも社会人になってからも大好きで続けてきました。
時には厳しく怒られ、挫折しそうな時があったり、時には大きな怪我を負い、大切な試合に出られなかったり、またあるいは試合に負けて泣くほど悔しい経験をしたり、逆に大きな大会に出て優勝して泣くほど嬉しかったり。
そうしたさまざまな経験をし、さまざまな思いをしました。
その時の思いって、今でも鮮明に覚えております。今でもちゃんと自分の中に残っており、決して消えません。
そんな強い思いもあります。
たまにこのサッカーに関するニュース記事が上がると、熱心に読んでしまうのですが、私はそれを読むと、当時を思い出したりします。
そして時には非常に感動したりするわけですね。なぜなら当時実際にサッカーを通じて感動した経験があり、その感動した経験が文章によって呼び起こされるからです。
これが文章における共感ですね。
相手に経験に基づいた思いを想起させる。
この前あったのは遠い異国の地でサッカーをしている少年が、私と同じく兄の影響でサッカーを始めたが、その兄が戦争で亡くなってしまったという記事を読み大泣きしました。
実際に私には兄の影響でサッカーを始めた経験があり、その時の喜びを知っているからです。
同時にそれが失われる悲しみも知っているからです。
その思いが実際に記事を通して蘇るからですね。
感動とはこうした経験によっても起こされるものです。これにおいては感受性というよりは、その本人の経験の濃さが大きく関係しております。
そしてそれは人によって濃かったり、薄かったりするわけです。
仮にその経験が濃い人であれば、その分共感をしてくれて、場合によって感動をしてくれるようになります。
感受性どうの、こうのではないんですね。
もちろんそこにおいても多少は感受性という先天的な能力も関連しているのかもしれません。だから過去の思いが脳にしっかりと媚びりついているのかもしれない。
しかしほとんどの人が腕立て伏せを100回やれば辛いと感じるはずです。そしてその辛さをなんとなく覚えているものです。
その辛さというのは万人に共通するものなのです。
経験は誰しもが持っています。経験をしない人はいません。またそこで得る何かしらの思いも必ずあるわけです。
なので書き手としてもこうした経験に基づくエピソード、話、こういったこと含めて、感動的な文章を書く上では重要な戦略となるかもしれませんね。
そして誰しもがこの体験談によれば感動してしまう条件下にあるわけです。
どうすれば感動する文章を書ける?感動する文章の書き方


ここまで感動体験の仕組みについてお伝えしました。
誰しもが文章で感動する条件にはあるということがこれまでにわかった最も重要なポイントです。
また、これから積極的に感動する文章を書いていこうと思っているあなたも、以下のポイントを意識していけばもしかしたら多くの感動を呼びこすことができるかもしれません。
- そもそも自由に自分の伝えたい思いを伝えられる手段が文章、その特徴をまずは活かす。
- 感受性が元から豊かな人や、過去に大きな経験をした人は感動しやすい
- 人には経験がある。またそこで生じる思いも必ずある。その体験談であれば誰もが感動する可能性がある
それでは以上を踏まえて、ここからは肝心の感動する文章の書き方についてみていきます。
感動する文章ってつまりどういう文章?
ここまで述べてきてわかるように、感動とは、何かを見聞きした際の読者がそこで心が動かされることを言います。
感動の構造はこんな感じです。↓
今回は感動的な文章の書き方ということで、「何か」に当たる部分は「文章」であり、「受け取る人」はそれを読む「読者」に該当します。
なので何かを書く人とまたそれを読む読者がいることが前提で、そしてその文章が読者の感動につながる内容でなければならないということですね。
今のをより具体化すると、
こんな感じになります。感動的な文章を形成している構造ともいえますので、具体的にその構造を紐解いていきましょう。
それを書く人
まず文章は書き手が伝えたいことを言葉にし、それを文面にして届ける手段のことを指します。またその際自分の思いを自由に書くことができる。これが文章のもつ特徴です。
その特徴を最大限に活かすこと。これが文章の力を最大限に活かすことにつながり、ひいては感動的な文章にもつながっていくということですね。
なのでまずは書き手としては自由に今思っていることを書くこと。これが感動的な文章の、書き手における前提条件となります。
文法や型など細かな設計は気にする必要はありません。
結果的に形式じみたものになってしまうのは構いませんが、鼻から体裁をよくしようだとか、かっこいい文章にしようだとか、綺麗な言葉を使おうだとか、そういったことは気にしなくていいです。
むしろそのようなことを気にしだすと、本来の自由さが損なわれ、文章の特徴を殺してしまうことになります。
自由に自分の思いを書く。まずはこれです。
これこそが何かを書くにおいて、最も文章が輝くスタイルなのです。よって自分の思いを濁さず伝えられたり、言いたいことが言えたり、素直な気持ちで伝えられたりするわけですね。それが感動につながっていくと言うことです。
要するに自分の伝えたい思いを形にとらわれず自由に書けと言うことです。
限定性を設ける。例えばそれが最後のメッセージになることを伝える
またこの部分で少しオプション的なことを言うと、例えばその書き手がもう余命いくばくかの人だったらどうします?
そして記事の冒頭で、「私はもう余命がわずかで、おそらくこれが最後の文章となると思います。お読みいただきありがとうございます」このような前置きがあったら読者としても真剣に読まなければいけないという思いが働きます。
またもう二度とこの人の文章を読むことはできないという思いも働き、読者を引き留め、感動につながりやすくなります。
これはあまりにも大袈裟な演出なので避けるべきですが、例えば卒業式の日、先生にあてる手紙に「これが最後のメッセージです」と記述するのは全然あり得ることだし、むしろ自然です。
先生も感動してくれるんじゃないでしょうか。
その文章に簡単には読めない、もしかしたらもう二度と読むことができないといった限定性を追加することができれば、感動的な文章にしやすくなります。
細かなテクニックとなりますが毎回の文章でもできればこうした限定性があった方がいいです。感動までいかないにしても読者を惹きつけることくらいはできるはずです。
それを読む人
感動的な文章における、続いてはそれを読む人の部分に関してです。
つまり読者ですね。
先ほども話に出た通り、感動を受けやすい人物の特徴として、
- 元から感受性が備わっている
- 過去に大きな体験をした経験がある
上記の2つが挙げられます。
そこで以下の2点を意識してみましょう。
誇張した表現を文中に用いる
感受性が豊かな人というのは普段から感動しやすい状況にあります。仮になんの変哲もない文章でも場合によっては感動してくれている可能性があるわけです。
しかし深い感動にはつながりません。
そこで仮にその内容を読むのがこの感受性が豊かな人だと限定した際に、より誇張した表現を文中に用いることで、読者に深い感動を与えることができます。
例えば普段の何気ない日常を文章にするとします。雨が降ってきて、その後の雨上がりの空を見て、「ただ晴れた」と書くのでなく、「雲間からこぼれる光に希望を感じる」と書くだとか。
あるいは「雨粒が頬を伝った」ではなく、「ぽつり、と頬に落ちた雨粒は、まるで空の涙のようだった。地面に広がる雨の波紋を眺めながら、心の奥までしっとりと濡れる気がした。」と表現してみたり。
「桜が散っているな。そろそろ春も終わりか。」ではなく「風が吹くたびに、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。まるで、短い春の命が、そっと別れを告げているようだった。」と表現してみたり。
こうした誇張した表現を用いることで、感受性豊かな人に対してさらに深い感動を与えることができます。
また我々平凡な人間が読んだ際も、こうした誇張を含んだ表現が用いられていると、少なからず感でできるような気がしませんか?
実際に体験したエピソードを踏まえる
また感受性がそこまで豊かではない平凡な人であっても、文章に体験談を含めることで感動してくれることがあります。
例えばその文章によって、過去に自分にもあったその経験を思い起こし、それがきっかけで感動するといったパターンですね。
これは実際に私も経験がありますが、先ほどの感受性うんぬんとは関係ありません。
読者の経験によるものなのです。
誰しも生きていればさまざまな経験をします。経験をしない人間はいません。
またその経験がの内容が大きければ大きいほど、当時の思いは今でも鮮明に覚えているはずだし、文章によって蘇ります。
先ほどもお伝えしたような私におけるサッカーの経験に基づいたサッカー記事とかですね。
私が実際に読んで感動した文章というのは、サッカーの経験がない人からしたらそこまで感動するような内容ではないはずです。
そこまで上手な文章でもないですし。それに私はそこまで感受性も豊かではありません。
にもかかわらず実際に私は感動してしまいました。それはその文章を通じて、過去の経験を思い出し、そこで経験した思いというものを思いだしたからなんですね。
当時の楽しい思い、辛い思い、そういった思いがその文章によって蘇ってしまったのです。
やはりそこにおいては文章のうまさは関係ありません。
おそらくその書き手も同じくサッカーの経験者だったのでしょう。私はその書き手の文章に逐一、共感してしまいました。
そこで言えるのは書き手に私と同じ経験があったということです。
ただそれだけだとしても、文章で人を感動させることができるわけです。
なのでこの実体験というのは文章の中にできればあった方がよく、積極的に文章に含めることで、多くの感動を呼べるかもしれません。
読者が感動する内容
最後に読者が感動する内容ということですが、要するに感動的なテーマにするということですね。
先ほどの例にもありましたけれど、やはりサッカーの記事を書いたところで、そこで感動してくれるのは同経験者か良くてスポーツマンくらいです。
やはり多くの人を感動させたいというのであれば、書き手にとっては確実な体験談であることを前提に、同じく万人にも共通してある経験に加え、万人が感動するテーマを選ぶことがおすすめです。
例えば以下のようなことは書き手、読み手、両者において確実に体験しており、またその際誰にとっても辛かったり、一方で楽しかったりする大きな出来事です。
- 幼かった頃の家族との思い出(親の言葉、祖父母との記憶)
- 別れと再会(家族や友人、恩師との別れとその後)
- 挫折と成長(失敗から学んだこと)
- 誰かの優しさにふれた瞬間(小さな親切が人生を変える)
こういったテーマを選ぶことで、それを読んでもらった時、多くの読者から共感を得られる可能性が高くなります。
実際に書いてみよう!感動する文章の例文
ここまでの内容を踏まえて1つ例文を作ってみました。
参考にしてみてください。
- 文章は形にとらわれずに書くべき。そうすることで書き手の思いを素直に伝えられる。濁すことなく伝えられる
- 文章に限定性を設ける。その文章はもしかしたらもう読むことができないかもしれないという思いにさせる
- 実際に体験したエピソードを踏まえる
- 多くの人が実際に経験したことのある、感動的なテーマを選ぶ
「最後のお弁当」
「明日お弁当だから!」
そう言うと、母は「はいはい。」と笑った。
母の作る弁当は、毎回茶色かった。
卵焼きと、冷めたハンバーグと、時々焦げたウインナー。
見栄えのいいキャラ弁なんて、一度もなかった。周りの友達のお弁当と比較して、あまりにもみすぼらしい自分のお弁当に悲しくなり、「もっとカラフルにしてよ」と文句を言ったこともあった。
母はそれでも「はいはい」と笑ってくれた。それでも結局いつも同じ茶色いお弁当だったのだけれど。
高校最後の遠足の日、私は周りの友達に見せたくなくて、お弁当を用意してもらわなかった。母には「学校で用意されているから大丈夫だよ!」と嘘をついた。
内緒で買ったコンビニのサンドイッチを友達と一緒に食べながら、「やっぱり、お母さんのお弁当の方がいいかな」と、なんとなく思った。しかしそれを母に伝えることはなかった。
社会人になって、一人暮らしを始めた。
仕事が忙しく、コンビニ弁当が当たり前になった。
ある日、実家に帰ると、母がいつもの弁当箱を手渡してきた。
「久しぶりに作ってみたよ」
開けると、相変わらずの茶色いおかず。
でも、その中に小さな赤いミニトマトがひとつ入っていた。
「少しはカラフルになったでしょ?」
母は笑いながら言った。それが、母の作った最後のお弁当となった。
「お母さんのお弁当大好きだったよ。」
そう伝えたかった。あの時伝えられなかった後悔の思いが蘇る。
母がいなくなってから私は時々、お母さんが作ってくれたお弁当に似せてお弁当を作る。
味はどこか違う気がする。
ふたを開けるたびに、あの時の声が蘇る。若かった時の自分の声だ。
「明日お弁当ね!」
そして「はいはい」と母の笑った声が聞こえる。
感動する文章が書けるようになったら試したいこと


ここまでの内容を読んだあなたはもう自在に感動的な文章を書けるようになっているはずです。
本当に書けるようになっていると思いますよ。
その技術があれば、今回のテーマでもある、平凡な日常に文章を使って感動体験を生み出すことができます。
あなたの書いた文章で誰かを感動させることができるはずです。
どんどん世の中の人に明るさと元気を、そして生きている喜びを伝えてあげてください。
最後にここではそんな素晴らしい技術を備えたあなたにやってほしいことをお伝えします。
友達に手紙を書いてみよう
ぜひお友達に手紙を書いてください。
学生でも社会人でもです。
LINEでもいいです。今はこんな便利なツールがありますからね。しかしそんな便利さにかまけて、普段の感謝やその友達に対する思いを伝えることは少なくなってきているのではないでしょうか?
あなたには素晴らしい技術があります。
そんなLINEを受け取った友達は本当に嬉しく思うはずだし、お二人の関係もますます良くなっていくはずですよ。
卒業文集で親に感謝の思いを書いてみよう
限定的なシチュエーションになってしまいますが、もしあなたがこれから卒業式を迎える学生さんあればぜひ、今回の技術を駆使して卒業文集を書いてみてください。そしてその際両親への思いを書いてみてください。
両親が手塩にかけて大切に育ててきたのがあなたです。
そんな大切にしてきてくれた両親に対し、感謝を伝える。これはもはや義務なんですね。ましてや卒業文集というまたとない限定的で、かつ大きな作品物において、そのような思いを伝えることで、両親はこれまでの苦労が報われる気がするはずです。
先生に感謝を伝えてみよう
先ほども簡単に話にありましたね。
私の時代にはあったのですが、今はどうなんだろ。
私は高校卒業時に、当時の担任に手紙を書きました。クラス全員でです。
当時はこんな大層なことを考えているわけでもなく、ただの学生に過ぎませんでしたから、平凡な文章を書いただけだったのですが、今改めて思うと、貴重な機会だったなと思うんです。
担任の先生からすると本当に苦労されたと思うんです。楽な仕事ではないですからね。ともに辛い思いをし、ともに楽しいを思いをした。
そんな生徒たちから最後に手紙を受け取る。その内容がもっと感動的なものだったらどうでしょう。
その先生は本当に報われる思いがするのではないでしょうか。
恋人にラブレターを書いてみよう
今はLINEがあるので恋人に手紙を書く機会なんてないですね。
そこをあえて書きます。あなたにはその義務があります。付き合っていようが、いまいが関係ありません。
好きな人にラブレターを書きましょう。
今は非常に少なくなってしまった文化ですが、やはり自筆の手紙はwebの文章と違って温かさを感じます。それだけで感動的です。
あなたにとって世界で一番大切な人に、ぜひ今回お伝えした技術を総動員させ、自分の思いを伝えてみてください。
もしかしたら、恋が成就するかもしれません。マンネリしていた関係が改善されるかもしれません。もう修正不可能だと思われた関係を修復できるかもしれません。
今回のこの記事を読んだあなただからこそできる経験です。
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