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読書は文章力向上に繋がるは本当?その3つの理由

読書 文章力
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文章力とはなんでしょうか?

私はこの文章力に強い関心があります。私は個人ブロガーで、そこではこの文章力の是非が常に問われているからです。

しかしひとえに文章力とはいったものの、この文章力の正体とは一体何のことでしょうか?

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一方でどれも共通しているのが「読者」があっての文章だということです。それを読んだ読者にどのような体験をさせられるか?しかもテキストのみで。この視点が一つの鍵となっているのかなと思っています。

例えばたった一言で人を惹きつけることができるだとか、あるいはその文章がまだ行ったこともないどこか遠い国のことを言っていてもその国の景色を鮮明に想像させることができるだとか、さまざまな捉え方ができるのがこの文章力であるわけです。

また例えばセールスライターであれば短文しか使えない一方で、小説家であれば長文が使えるといった、いわば「戦場」の種類によってもその定義は違ってくると思います。

文章力の定義、これは依然謎に包まれたままです。

そこでいうと私は個人ブロガーですから、人を惹きつけることも、表現方法にもどちらにも気を配る必要があります。なぜなら人に読んでもらい、自分の商品をそこで購入してもらう。これがブログの収益化方法となるからです。

何よりも私は自分のブログをもっと多くの人に読んでもらいたいと思っています。

魅力的な文章が書けなければいけないんですね。

しかしそれはそれとして、実は私がブログ運営で一番気を配っている点は「文章を論理的」に書くということなんです。

ブログは1記事あたり平気で10,000文字くらいの文字量となります。

初めに1つのテーマを設定し、次にそのテーマにおける目的と要点を洗い出し、その洗い出した要素をもとに一貫性のある記事を書いていく。それは最後まで1つの川の流れとなっていなければいけないわけです。

これが実に大変で、少しでも妙なことを言ったり、表現を誤ったりすると、そこから少しずつ道を逸れていってしまい、さらにそこからさまざまに枝分かれしていき、気づけばいくつもの川が出来上がってしまう。

このような状態になってしまうのです。つまり論理が破綻してしまっている状況ですね。

これは本当に避けなければいけないことで、文章作品においてあってはならない状態です。なぜなら論理が破綻しているというのは橋が破綻しているのと同義で、物理的に渡れない、文章であれば読み進めることができない状況に陥っているからです。

なので私が定義する文章力とはいかに文章を論理的に書けるかどうか、まずはそれを実現する力だと思っているんです。

これが実現できれば、文章としてまずは成り立たせることができます。つまり読者をまずはステージに立たせることができるのです。

あとはそこから例えばセールス文を挿入したり、アフィリエイト広告を設置するといったことをしていく。

こういったおまけな作業がようやくできるわけなんですね。

そしてブログだったり、セールスライターだったり、小説家だったり、さまざまな個人の活動も活きてくるわけです。

論理的に文章を書くこと。これは文章における心臓となる重要な部分で、まずはこれができないことには作品として成立しないどころか、文章として成立しません。

そこで今回の話となるわけですが、そもそもこの論理的とは何を指すのか、そしてその論理的な文章を書けるようになるためになぜ読書が最適な選択なのかということを今回はお伝えしていきたいと思います。

目次

読書をするとなぜ文章力が向上するのか?

読書をするとなぜ文章力が向上するのか?

それでは早速、なぜ読書が文章力向上につながるのかについて考えてみたいと思います。

読書をするとなぜ文章力が向上するのか?
  • 読書で文章とは何かを知ることができる
  • 読書では「言葉」の意味と使い方を正しく理解できるから
  • 文章構成の基本を知ることができる

読書で文章とは何かを知ることができる

文章作品はまずもって、論理的でなければなりません。

その理由は冒頭でもお伝えしましたが、文章は1本の川の流れというルールを守らなければならないからです。

あるいはその際この文章を「一本の橋」にも例えられましょう。当然ですがその橋は全て繋がっていなければならず、そうでなければ対岸まで渡ることはできません。

そもそも文章で書く内容といえば、どのようなシチュエーションにせよ、それは状況の説明がそれに該当します。

もっと簡単に言えばそれは人間が理解できるものでなければならないということです。

例えばこれは極端な例ですが、その文章の内容が「䨻龘䲜靐䨺齉䖇䴒」といったものだったとします。

まず理解できませんよね。とても読めたものではありません。これはなんのことを言っているのか?そもそも何語なのか?それすらも理解できません。理解できないというのは論理が破綻しているということです。

文章は読者がいて初めて成り立つものです。その読者とはもちろん人間のことなので、人間が理解できるものでなければならないのです。

そして人間の理解というのは「論理的な内容」があって初めて成り立っているものなのです。

そもそも文章とは人のために書かれたもので、その人に理解させたいから書く、理解してもらいたいから文章というのは書くわけです。

なので人が理解できない文章というのはもはやなんでもありません。先ほどの難しい漢字が並べられたものと同じく、ただの言葉の羅列であり、それは文章ではないのです。

理解できない文章つまり、論理が破綻している文章というのはそれはもはや文章とは呼べないわけなんですね。

そんな中で世で出回っている作品。出版社に認められた作品というのは最低限その役割は果たされているものだと思っております。

なぜならその作品はいずれも読者に対し書かれたもので、その読者に必ず理解されるようにとの思いで書かれているからです。

つまり必ず論理的な作りとなっているわけです。

世に出回っている書籍というのは、難しい、簡単の差こそあれど、必ず読者が理解できるような内容となっており、最初から最後まで一貫性があるものと約束されているのです。

文章は論理的でなければなりません。

その論理的に書く力が今回の文章力の基礎であると思っておりますが、書籍では必ずその条件が約束されている。

つまり読書を通せば常に「文章の基礎」に触れられるという意味でまず推したいと思うのです。

読書を通し、論理的がどういった状態なのかを学ぶことで、まずは文章の基礎というか心臓が理解できます。論理的でなければならないという文章の一番の要点を知ることができるのです。

そして今後文章を書いていくとき、その基礎を思い出せば、まずは読者に読んでもらえるという一番大切な条件をあらゆる現場で担保できるようになるのです。

読書では「言葉」の意味と使い方を正しく理解できるから

文章は論理的でなければならない。

そもそも文章とは人のためにあって、その人が理解できないことには文章は何の役にも立たない。それ以上に、それは文章とは呼べないのです。

人が読んだときわからない部分があってはダメなんです。

人に理解させるためには論理的でなければならず、最初から最後まで一本の川の流れになるように書く。物理的な橋を架ける。これが人が理解できる文章、また文章の書き方です。

それでは論理的とは何か?

それは正確な言葉を使い、それを繋いでいくということですね。長くなってもいいから的確な言葉をもちいてきちんと状況の説明をする。

正確な言葉を使い、確実に前後を繋いでいく。つまり一つずつ足場を作っていき、大きな橋に近づけていくのです。

その際これから挿入しようとしている言葉の正確な意味を理解しておくことはもちろん、すでに配置している言葉の意味をただしく理解した上で、次にこれから言おうとしている言葉が的確かどうか判断した上で配置していく。

これが正確な言葉の設置であり、ひいては論理的な文章を書く際の秘訣です。

またその際実は単に前の言葉を見ただけで、正確な言葉の判断がつくわけではなく、一文を通してみたときに初めて今回採用しようとしている言葉の正確な役割がわかる場合も多くあります。

例えば「文章は1本の川の流れのようでなければならない」といった一文があるとします。

「文章」や「1本」、「川」、「流れ」といった言葉が登場してきますが、それらは決して単独では意味が通じないものの、特定の言葉同士が組み合わさることで意味が生まれるわけです。

その際、どれか1つでも別の言葉になってしまったら、意味が通じなくなってしまい、文章は成立しません。

このように文章における一つ一つの言葉の意味というのは一文すべてで補っているものなんです。

一文を通してみたとき、ようやくそれぞれの言葉の持つ正確な意味が理解できるのです。言葉の正確な意味ははこの「一文を通して」学ぶものなのです。

そこではこの言葉がくれば大体はこの言葉もセットでくるといった法則を知ると間違いが起こりづらくなります。

例えば「1本」ときたら「川」だなとか、「山」ときたら「燃ゆる」だなとか。言葉にはこうした特定の結びつきがあって、それを知れば誤った言葉の選択も起こしづらくなるということです。

そういった言葉同士の特定の結びつきも一文を通してだからこそ知ることができるのです。

なのでそういった意味も含めて、さまざまな一文が多く登場する書籍がおすすめで、言葉の正確さや、言葉同士の兼ね合い、関わり合いを知ることができるのがこの書籍なのです。

全ての言葉にはきちんとした役割があって、その言葉同士が正確に結びつけることで論理的な文章は生まれます。

仮にその中で1つでも不適切な言葉があったら、論理は破綻してしまい、その作品は生まれません。

正確な言葉の把握、そして設置。これが文章には求められるのです。

書籍というのは作家がそれを避けるべく言葉を厳選し、試行錯誤を繰り返し、たった1つの川の流れにまとめあげた、まさに文章の教科書なんです。

少しでも不適切箇所があると川は氾濫します。論理は破綻します。

文章は人のためにあって、人に理解してもらうためにあります。人に理解してもらうために、文章は論理的でなければならず、論理的でない文章は文章とは呼べません。

なのでどんな状況も論理的に説明できるようになれれば、あなたはもう立派な文章家です。

論理的に書けるようになること、文章においてはこれが第一で、人々に理解させる文章が書けた時初めて文章は文章として成り立ちます。

読書をしましょう。そして論理的とは何かを知り、それを文章を書く際の秘訣としましょう。

文章構成の基本を知ることができる

ここまでややこしいことをつらつらと話してきましたが、文章とは要するに確かな事実を書けるようになれればいいわけです。

なぜなら文章とは読者のためにあって、その読者に理解してもらうことが文章の目的だからです。

その際読書がやはり有効な手段だと言えるのは、自分の脳に文章の基礎なるものを記録できるからです。文章が書けないのは逆にその基礎をあまり多く持ち合わせていないからです。

例えば我々が小学生に比べてまだまともに文章を書けるのは、小学生に比べて読書や人との会話、テレビなどの経験が多く、それによって文章の基礎を多く備えられているからです。

会話もそうだし、読書も、テレビもそうですが、それらは基本的に元来日本に精通する言葉遣いや正しい表現方法にそって構成されています。

会話もある程度の大人であればそこまでメチャクチャなことを言う人はあまり多くいません。それはその話をする大人にもまた、それまでに培った文章の基礎があり、またそれを参考に話をしているからです。

なのでそのようなところで見聞きする作品は、いわば文章のお手本のようなものなのです。

そうしたメディアにこれまでどれだけ触れてこれたか、それによって大きな違いが生まれます。

我々と小学生にはそこに大きな違いがあるんですね。

そしてそのような経験が無意識のうちに文章を書く際に手助けしてくれているのです。

例えば何かについて書いているとき、この表現は少し変だなと思えるのは、その基本が自分に身についているからです。

読書はまさに今述べてきた文章の基礎を身につけられるためにはうってつけの方法です。。

というのも基本的に販売までにたどり着く書籍というのは何人もの編集者が監修した上で出版されています。

その編集者にも当然、基本的な文章の型が備わっているだろうし、これまに何度も監修を行ってきたわけですから、そこでいうと彼らは相当な文章家です。

おかしなところはその目によってどんどん削ぎ落とされていき、訂正されていきます。

基本的に販売されている書籍におかしな表現はないと思っていいでしょう。

より洗練された、より正確な文章の型だけが約束されているのです。

なのでそんな書籍をたくさん読みましょう。

書籍は文章の基礎を学ぶにはもってこいです。

読むだけで文章の基礎というべきか、型を記憶でき、その基礎を多く知っていることで、それが文章を書く時や、話すとき、添削するときに役立ちます。

そう言った型を常に携帯できるようになる。これが読書の効果だと思います。

文章力を身につけられるおすすめな一冊の本

文章力を身につけられるおすすめな一冊の本

丸谷才一さんという方がいます。この方は芥川賞作家です。

その丸谷才一さんが手がける書籍の中に「文章読本」という作品があります。私はこの書籍で文章のなんたるかを学びました。

そして本書を読んで、書籍を通しての学びがいかに文章力に深く関係しているのかを知りました。

言葉の正確さは一文を通して学ぶといったことや、文章は論理的でなければならない。そういったことを本書で学ぶことができました。

今こうして文章力を少しずつ身につけられるようになったのもその意識が定着したからで、元はこの書籍のおかげです。

なぜ読書が文章力にかかわるのか、この丸谷才一さんの「文章読本」という作品からもアプローチしてみたいと思います。

事実、私はこの書籍を読んだきっかけで、読む前と後とでは明らかに書くスピードが早まりました。

文章は読書をするだけで書けるようになる。そんな体験を実際にさせられたのです。

文章は論理的でなければならない。それがわかるだけでこんなにも書けるようになる。

本書で私が一番印象に残っている部分、それは「文章は論理的でなければならない」という本書の中に登場するフレーズです。

そこの内容に関してはある程度本記事の冒頭部分でお伝えしてきたつもりですが、つまり文章とは人のためにあるものであって、人が理解できる構造になっていなければならない。そして人に理解をさせる構造が論理的であるということなんですね。

文章の装飾やその他技法に関しては特にあまり多く触れられておらず、全体を通して特に「論理的」であることの重要性、これが入念に語られておりました。

そしてこれこそ芥川賞作家でもある丸谷さんが文章を書く際に気を付けている部分だったのです。

私もこの意見に触れ、そこから文章のあり方について考えさせられたのですが、これこそ文章の最も重要視する部分なのだと、私も次第に考えられるようになりました。

というのも、私は個人ブロガーで、文章を生業としておりますが、毎日多くの執筆業に追われ、書くのが辛い、何を書けばいいのかわからない、そういった状況に陥ることがよくあったんです。

そうなった時は時間を置くか、諦めるかのどちらかだったんです。

最悪なのは後者の場合で、それまでに費やした時間も全て無駄になり、またそれが意味するところは収益が一歳なくなるということで、これは一番避けなければならないことです。

そんな状況を回避できるようになったのが今回の丸谷さんの言わんとする「文章は論理的であればいい」という助言だったのです。

それまでもがき苦しんでいた私の暗い文章生活に光が差し込んだ、そんな瞬間でした。

以降私はその助言のおかげで、どんなこともまずは論理的に書こうとすること、この意識が芽生えました。そしてその意識によって文章に対する姿勢が変わり、目線が変わり、それまで書くことができない状況に苦しんでいた頻度を減らすことができるようになったのです。

書くことが苦しくなくなり、収益となる記事を次々に生み出せるようになったのです。

そこにおいては特に何も技術を身につけたわけではありません。ただ今回の本を読み、意識を変革しただけです。

文章は論理的に書こうとすればいい。その意識さえあれば、書けるようになるのです。

文章はその意識1つでこんなにも書けるようになる。そんな素晴らしい体験を実際にさせてもらえたのです。

同じような経験を、または別の書籍をしたことがありますが、今回の丸谷さんの作品ほど、その感覚にさせられたことはありませんでした。

もしかしたら、他にも素晴らしい書籍がたくさんあって、読むだけで文章力を上げることができる、そんな体験をさせてくれるかもしれません。

これからも文章に関する秘訣や秘密を知りたい。まだ自分が知らない文章の知識について、さまざまな本を読んで蓄えたい。そう思ったのでした。

文章は意識1つ変えることで多くのことが書けるようになったり、さまざまな表現ができるようになったりします。

今回私は文章力についてお伝えしておりますが、その文章力とは何か、文章の基本とは何か、そういったことがわかるのはやはり本での学びです。

そしてその知恵こそ、何よりもの文章力ではなかろうかということです。

読書 文章力

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