主語がない文章は読みづらいです。
文章は読者があってのものです。
なのでなるべくなら読者が読みやすい文章を書けるように心がけたいものですね。
例えば会話中いきなり相手から「やばいらしいよ」と言われても「何が?!」となってしまいますよね?
それにここで出てきた「やばい」というのも、現在よく使われている若者言葉の一つですが、あまりにもその言葉の持つ意味が抽象的すぎて何がどうやばいのか?そのやばいが何を指しているのか?聞き手は分かりづらいところです。
日常会話もそうですが文章家であれば読者のためを思って、思いやりのある表現を使いたいところですね。
文章は自分の伝えたいことを他人に伝えるための手段です。
それを読んだ読者に自分の思いが伝わらなければ意味がありません。
また文章は言葉や単語が何度も何度も繰り返される構造になっています。
その度に主語や述語は入れ替わり、立ち替わり、読者がそこに立たされる状況も、その文節が持つ意味の正体も変化していきます。
なので主語をきちんと用意してあげられることはもちろん、先ほどの「ヤバい」のような聞き手によって捉え方が異なってしまうような曖昧な表現はなるべく避けるべきです。
本記事では文章における主語の重要性を指摘するとともに、分かりやすい文章の書き方についてご紹介していきます。
主語がない文章の例文
早速ですがまずは主語がない文章の例文をご覧いただきたいと思います。
主語がない文章の例文
見た。ジャングルの上を飛んでいた。こびりついていた。
上の文章の何がおかしいでしょうか?
そう、主語が一切ないんです。
大袈裟ではありますが、主語がない文章とはこういうものです。
以下にこの文章を読んで不明に思ってしまう点を挙げてみました。
- 誰が何を見たのかわからない
- 何がジャングルの上を飛んでいたのかわからない
- 何がこびりついていたのかわからない
先ほどの文章を読んだだけで、これほど多くの疑問が生じてしまいました。
それも全て「主語」がないせいです。
これが仮に以下のような文だったら今あげた不明点を全て解消できることになります。
僕は夢を見た。僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を飛んでいた。僕は深い傷を負いその僕の羽には血の痕がこびりついていた。
僕の正体は鳥なのか、人間なのか一体なんなのか?という疑問は一旦置いといて、意味の通じる文章には一応なりました。
主語は本当に大切な役割を持っているのです。
もう一つ例を見てみましょう。
食べた。とても美味しかった。買えるらしい。
同じように今の文章の何がおかしいでしょうか?
以下にこの文章を読んでも不明に思ってしまう点を挙げてみました。
- 誰が何を食べたのかわからない
- 何がとても美味しかったのかわからない
- 何がどこで買えるらしいのかわからない
これが以下のように修正したらどうでしょうか?
僕はお腹がすいたのでうどんを食べた。とても美味しかった。そのうどんはスーパーか直売店で買えるらしい。
先ほどの疑問が全て解消されたはずです。
主語がない文章は意味が通じません。
文章において主語は非常に重要なものです。
述語がない文章の例文
主語と述語。
文章においてこの2つの役割は絶大です。
先ほど主語がない文章の例文をご紹介しまして、主語がない文章は非常に読みにくいことを実際に体験していただいたかと思います。
それでは今度、述語がない文章はどうでしょうか?
先ほどの例文を少し変えて再度ここで引用してみましょう。
僕は夢を。僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を。僕は深い傷を負いその僕の羽には血の痕が。
これまた大変な文章になってしまっていますね。
↑の述語がない文章ですと、
- 夢をどうしたいのかわからない
- ジャングルの上で何してたのかわからない
- 血の痕がどうなったのかわからない
これまた疑問点の多い文章になってしまいます。
文章を理解する上で述語も非常に重要な役割を果たしているんですね。
見た。ジャングルの上を飛んでいた。こびりついていた。
↑は先ほどの「主語」がない文章です。
僕は夢を。僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を。僕は深い傷を負いその僕の羽には血の痕が。
↑は今回の述語がない文章。
どちらもちんぷんかんぷんですね。
とても読めたものではありません。
もう一つ述語のない例文を見てみましょう。
僕はお腹がすいたのでうどんを。とても〜だった。そのうどんは。
- お腹がすいてうどんをどうしたのか?
- とてもなんだったのか?
- そのうどんは何なのか?
大体想像がつく部分もありますが、それは我々がうどんという存在を知っているからです。
もしこれが全く知らない対象物だったら、全く検討がつかなくなってしまいます。
主語も述語もどちらも非常に大切です。
なぜ主語がない文章は読みづらいのか?
それではなぜ主語がない文章は読みにくいのでしょうか?
その理由について探ってみたいと思います。
先ほどの主語がない例文を再掲します。
見た。ジャングルの上を飛んでいた。こびりついていた。
主語がないということは、その文章における「主体」がないということです。
つまり「何か」をしている「主」がいないということです。
しかし「何か」をしてるのはわかる。
何か不思議な感覚ですね。
主語がない文章を読んだ読者はそういった感覚にさせられます。
読者体験としてそれはとにかくNGです。
「誰が」何をみたのか?「何が」飛んでいたのか?「何が」こびりついていたのか?
文章では「主」がストーリーを紡いでいかないといけないのに、その主がいない。
それが主語の、主体のない文章です。
とても読めたものではない。
一方で述語がない文章は主張がないということですね。
先ほどで言うならば、その物語に「主」はいる。
主人がいるのがわかる。
しかしその主が何をしたいのか?何をしているのか?何をしたのか?がわからない。
読者もその文章における味噌のようなものがわからないため混乱します。
主語のない文章とは真逆なことがここでは起こってしまいます。
主が「何か」をしているのはわかる。
しかしその「何か」がわからない。
それが述語のない、主張のない文章です。
これもこれで読めたものではありません。
主体と主張、両方があって初めて成り立つ、それがあらゆる事象であり、文章です。
文章においては主語(主体)と述語(主張)、その両方があって初めて成り立ちます。
初めて意味が通じる文章となります。
鼓動を、息をしている文章と言えるのです。
どちらか片方がなくても、文章は成り立ちません。
とても読みにくいものになってしまうのです。
繰り返しになりますが、文章は自分の思っていることを読者に伝える手段です。
読み手に内容が通じなければ意味がありません。
なぜ主語がない文章になってしまうのか?その原因とは?
それではなぜ主語がない文章になってしまうのか?その原因についてここでは考えてみたいと思います。
- 伝えたいことがわかっていない
- その文章における主体がわからない
- 主体が主張がわかっていないから主語がつけられない
伝えたいことがわかっていない
文章は書き手の思いを読者に伝えるための道具です。
そもそも書き手に伝えたいことがなければ文章を書く意味はありません。
しかし伝えたいことがない、言いたいことが決まっていない。
そのような中途半端な心境で文章を書くから、主語がない文章になってしまうことが多いのです。
伝えたいことがない、その内容の「主体」がわからない。
そして文章の「主体」がなくなってしまう。主語がない文章になってしまう。
このようなサイクルですね。
文章は書き手のメンタルが文章内容に関係することが往々にしてあります。
文章を書くうえで書き手に「伝えたいことがある」。
これがスタート時点で備わっていないことには、文章は始まりませんし、意味がありません。
主語のない文章にもなってしまいます。
主語は「主体」のわけですから、まずは自分の中で「主体」と「主張」が明らかになった上で文章を書き始めるようにしましょう。
つまり主語云々より大前提として「伝えたいこと」は何か?を明らかにしましょうということです。
その文章における主体がわからない
また主語がない文章になってしまう原因として、その文章における主体がわからないというのも挙げられると思います。
主体とは自分がこれから文章で語る際の「主人公」のことですね。
誰が?何が?誰のなんの話なのか?このようなものの正体ということです。
例えば「僕は昨日怖い夢を見た」という文には「僕は」という主語があります。
それは夢を見たのは「僕」という「主体」がはっきりしているから、主語として文章内に自然と現れるんですね。
誰の何の話なのか?これをきちんと理解しておけば主体がわかります。
そうすればおのずと主語もわかるし、自然に文章内に主語を配置できるのです。
主体が主張がわかっていないから主語がつけられない
しかし主体が分かったとしても話の流れがわかっていないせいで主語がわからないということもあると思います。
つまり述語となる「主張」がわかっていないために、主体がわからないということですね。
例えば「僕は昨日怖い夢を見た」という文章が書けるのは「夢をみた」という主張がわかっているから「僕は」という主体もわかるといったイメージです。
主語と述語。
この二つはいつもお互いを生かし合っています。
今のは単純な例なのであまりイメージできないかもしれませんが、これが以下のような難しい文章になるとどうでしょう。
物と性を有し、性と物を具す。性と物と混成して罅縫無し。故に、其の一は全なり。
果たして↑の文章の主語はどれでしょうか?
かなり難しいですね。
この文章の主語は末尾の「其の一」という箇所です。
主語が最後に来ているせいもありますが、前半部分に述語が来ているせいと、主体の内容がわかりづらいせいで、主語がどれなのかわかりづらくなっている良い例ですね。
しかしかなりの高等技術ですが、話の流れやそれぞれの意味をしっかりと理解すれば、文章としてきちんと成り立っているのがわかりまし、主語も見つけられるはずです。
そして主体と主張、お互いの意味や流れをきちんと理解すればこのような文章も書けるはずなのです。
あとは技術の問題ということですね。
主語、つまりその文章の主体をはっきりさせるためには、述語、つまり「主張」や全体的な話の流れもしっかりと理解していなければなりません。
文章は主語と述語、常にこれがセットです。
主体を理解するためには主張を理解する必要があって、その文章における主張が分かれば主体も自然と理解できます。
文章における主語の重要
ここまでで文章における主語の重要性についてなんとなくですが理解していただけたはずです。
さらにここでは主語の重要性について語っていきます。
そもそも主語とは?
そもそも主語とは、文の中で「何が・誰が」などを表す言葉です。
文の主題や動作の主体(動作をする人やもの)を示しています。
たとえば、「花がきれい」や「私が走った」では、「花が」「私が」が主語です。
主語は文の初めにくることが多く、「何が(何は)、どうする・どんなだ・何だ」の「何が・何は」に当たる部分を表します。
また先ほどのように文の途中に出てくる場合や文の最後に出てくる場合もあります。
また文中に主語がない場合もあります。
その文章の主体、その文章の心臓を動かすものが主語。
このように覚えておきましょう。
文章における主語の重要性
例えば賃貸の契約書があるとします。
賃貸を契約したことのある人ならわかると思いますが、煩わしいほどに「甲」だとか「乙」だとかいう主語が出てきますよね。
のちに争ったりしないよう、決して誤読されないようにあれほどまでに主語を敷き詰めているわけです。
契約者は誰なのか?をはっきりさせるために「甲」という表現を用いる。
またこのような場合には契約者に負債の責任があるということを知ってもらうために「甲」という表現を用いる。
そこで「乙」は誰なのか?貸主ですよね。
このような場合には「契約者」ではなく「貸主」に負債の責任がある。
それをはっきりさせるために「乙」を使う。
契約書のように誤読があっては困るような書物では本当に煩わしいほど「主語」が出てきます。
主語は読み手にとって、その話を理解するための重要なシグナルとなるのです。
書き手としても読者に予想されて読まれないように、想像で理解されないように、きちんと主語を配置しているわけですね。
正確に文章を理解するために「主語」は必須なのです。
英語には必ず主語がある
英語であればどんな文章にも主語があります。
なぜならそうでないと意味が通じないからです。
例えば「天気がいい」と表現するにしても「it is fine」と書く。
日本語であれば「良い日だなぁ〜」と「今日は」という主語を省略しても意味が通じるものの、英語ではそうはいきません。
主語がないと気が済まない。
それが英語です。
主語がない文章のメリット、あえて主語を文章から省くのはなぜ?
主語を省く。
これは場合によっては読者にとって読みやすくなるという嬉しい効果があることも知っておきましょう。
主語を省略することで文章にスピード感を持たせたり、読者が読みやすくなったりするからです。
日本語は主語がなくても通じる言語です。
例えば以下の例文をご覧ください。
僕は夢を見た。僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を飛んでいた。僕は深い傷を負い羽には血の痕がこびりついていた。
「僕は」という主語が3回も連続して出てきます。
どれか一つの主語を削っても十分意味は通じると思いませんか?
例えば、
夢を見た。僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を飛んでいた。僕は深い傷を負い羽には血の痕がこびりついていた。
でもいいし、
僕は夢を見た。黒い大きな鳥で、ジャングルの上を飛んでいた。深い傷を負い羽には血の痕がこびりついていた。
でもいいでしょう。
なんなら人によっては、
夢を見た。黒い大きな鳥で、ジャングルの上を飛んでいた。深い傷を負い羽には血の痕がこびりついていた。
このように主語を全て省略しても意味を理解してくれる読者もいるでしょう。
勘の良い読者は少なからずいて、主語がなかったとしてもこれはこういうことなんだろうなと予想して読み進めてくれるのです。
また先ほども言った通り、主語をいちいち挟むと読む際にスローダウンしてしまう傾向もありますよね。
主語は場合によっては省略した方が良いケースもあります。
主語がなくても通じるのであれば、あえて主語をなくすことでユーザビリティにつながることもあるのです。
主語がない人は頭がいい?
日本文学の独特な流れとして主語を省くという風習もあります。
「多くを語らないが美学である」という風習はかつて非常に強くあったみたいですし、今でもありますよね。
確かに多くを語らないのに、非常に的を得ている文章が書ける人は文才があるはずです。
文量に制限がなければ、誰でもある程度は説明がつく文章は書けますからね。
それに先ほども言ったように、読者の負担を考えれば読む文章量は少ないに越したことはありません。
短くても意味の通じる文が書けたり、主語を省いても意味の通じる文章が書けるのは、読者のことを非常に理解しているから書けると思うんですよね。
例えば自分の文章を読む人が、大体大学生くらいだということをあらかじめわかっていれば、高校生くらいまでの予備知識はあるということなので、説明を省いてもいいという判断もできるかと思います。
この辺のユーザー層であれば主語などなくても理解できるだろうとか、この説明はいらないとか想像しながら文章が書けるんですね。
そしてそれが見事にハマるのです。
またその文章における要点を理解し、その要点だけ押さえて書くということもできれば、より文章量を抑えることができます。
そのためには事前に読者層をリサーチするという努力もあるでしょうが、頭の良さ、クリアさも、そういったものが相俟って、主語のない文章や短くても意味の通じる文章が書けるのだと思います。
主語がない例文の直し方
最後にここでは主語がない例文の直し方、読みやすい文章の書き方についてご紹介します。
主語がない例文の直し方
繰り返しになりますが、文章は書き手の思いを読者に伝えるための手段です。
書き手にそもそもの「伝えたいこと」があることが大前提となります。
つまり文章には必ず書き手による「伝えたいこと」が備わっているということです。
つまり「主張」ですね。
この「主張」は述語の部分になりますが、主語が見つけられない、主語をどう書けばいいのかわからない。
そういった時はまずはその文章の「主張」に該当する部分に目を向けてみましょう。
例えば以下の例文をご覧ください。
美しさは業績の良さはもちろん、社員の自主性や交渉力を伸ばす企業としても、その社風を高く評価している。
この文章を意味が通じるように正しく直してみましょう。
まずこの文章の主張を探します。
これでいうと、「高く評価している。」という部分が主張になります。
「高く評価している」ということなので、ここでいう「主語」は、「評価」という行動ができる特定の人や機関名、つまり主張ができる「名詞」や「動名詞」になるわけです。
しかしここでは「美しさ」という形容詞が来ています。
まずこれがおかしいです。
主語は必ず名詞か動名詞になります。
ここでは「グーグル」という会社名にしてみましょう。
グーグルは業績の良さはもちろん、社員の自主性や交渉力を伸ばす企業としても、その社風を高く評価している。
なんとなくですが、意味が理解できるようになったと思います。
まずは主語に該当する部分が名詞あるいは動名詞になっているか?ここをきちんと確認しましょう。
ただこれでもまだ完全には意味は通じません。
問題なのは「社員の自主性や交渉力を伸ばす企業としても、」という修飾部分です。
もしこの修飾部分がなければ「グーグルは業績の良さはもちろん、その社風を高く評価している。」ということで一応意味は通じます。
しかしこのような修飾語が入ってしまった以上、
グーグルは業績の良さはもちろん、社員の自主性や交渉力を伸ばす企業としても、その社風を高く評価されている。
と、受け身の文章にした方が意味が通じやすくなります。
このように文章が長くなる場合は、一文に一貫性を持たせることが難しくなります。
ほんの少しの文章の使い方の違いで、文章の論理が破綻してしまうこともありますので、全体の文章の流れを意識し、長くなっても意味が通じるかをよくみて、意味が通じなそうだったら微調整を加えることが大切です。
読みやすい文章の書き方
以上のルールを踏まえて以下のテクニックも駆使してみましょう。
- 論理的な文章になっているか
- 誤字・脱字を減らす
- 例え話をふんだんに使う
- 中学生でも理解できる漢字や単語を用いる
- 無駄なことは書かない、あれば削っていく
- PREP法を用いる
- 画像、装飾、表を用いる
- 箇条書きを使う
- 文章が続く場合は「スペース」や「改行」を使って読者を休憩させる
- 適切に句読点を用いる
- 1スクロールの中で、ユーザーが飽きない工夫をする
- 自分の意見にはふきだしを活用する
- 引用した画像やデータは引用したことをきちんと記す
- 見出しで伝えたいことは一つに限定する
- 用途に合わせて「」を用いる
- これ、それ、あれ、どれなどの指示代名詞は使わない
- です、ます、だ、であるなどの語調は統一する
必ずどなたでも良い文章が書けるようになるはずです。
今のことをさらに詳しく知りたい方は以下の記事もご参考ください。
主語がない文章例文に関する最終疑問
- 文章の主語の見つけ方は?
-
主語をとらえるには、述語にあたる言葉と、「〜は」「〜が」「〜も」がついている言葉に着目し、それらの意味がつながるかを確認するようにしましょう。
- 日本語には主語はあるのか?
-
英語からみれば日本語には主語がないと捉えられるのかもしれませんが、日本語には「S+O+V」だけでなく、「O+V」「V」という形が基本形の一つとして存在するというだけのことです。 要するに、日本語の主語は「省略」されているのではなく、文章によっては、「そもそも主語など存在しない」ということです。
- 日本語にはなぜ主語がない場合があるのでしょうか?
-
日本語は「場」を相手と共有することで成り立っている言語です。 したがって、日本語の文構造においては、英語の主語に相当するものが必ず選択される必要はなく、「その部分は必要なら加える」がスタンスだからです。
主語がない文章はとても読みづらい、文章を書くときはしっかりと主語を準備しよう!
主語は文章において非常に重要な役割を占めています。
主語がない文章は「主体」がない文章なので、読み手とすれば「誰の話?」「なんの話?」ということを理解できません。
そんな文章は読みたいと思わないですよね。
読者に読んでもらうためにはきちんと主語を配置し、親切に語ることが大切です。
しかし時には主語をなくした方がユーザビリティにつながる場合もあります。
文章は自分に伝えたいことがあって、初めて成り立つものです。
またその際、独りよがりの文章にするのではなく、読者第一優先で、どうすれば読者は読みやすくなるのか?このことを意識しながら文章を書いていけば、どなたでも目印を見失わずに文章が書けるはずです。
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