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何を書けばいいのか分からない。どうすればいい?

何を書けばいいのか分からない。
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文章を書くのって難しいですよね。私はいまだに慣れません。

個人ブログを開設したのが2021年。

そのブログではなにより文章を書くことが基本となるので、前提として文章力はある程度備わっていなければなりません。

そのため多少はこの文章について勉強しましたし、その甲斐あって当初に比べればある程度マシな状況になったと自負しております。

しかしいまだに文章を書くことは苦手だし、疲れます。

何を書いたらいいのかわからない。いつもそういった状況が初めにあって、そこから脳をフル回転させてなんとか書いていく。このような始末です。

本当疲れるんですよね。辛いんです。

文才のある人はどんなトピックであっても筆が乗って、スラスラと書けてしまう。

また初めから特に意識せずとも書いてる最中にその書くべき内容がわかってしまう。

そのようなことがあると聞いたことがあります。残念ながら私は文才がないのでそんな境地に立ったことがありません。

それができればどんなに楽しんだろうといつも憧れてしまいます。

文章を書くことにおいてはいつも苦労しておる筆者ですが、これまでの経験の中で1つ、今回の文章を書く上で気づいたことがあるというか、秘訣を見つけたんです。そしてそのことを理解したとたん、文章を書くのが少し楽になったんです。

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依然文章を書くことは疲れますが、、

それは「わからなくても書け」ということです。あるいは「文章はわからなくても書ける」ということなんです。

これは要するに「精神論」なんですね。この思考があるのとないのとでは少し違ってくるぞ、という話なんです。

そこでこの内容が気になる方はぜひ読み進めてみてください。特にいま文章を思うように書けないという方にはおすすめな内容です。

わからないを書けだって?なにを言ってやがるんだ!と不審に思われた人もきっと最後にはそういうことか!と納得してもらえると思います。

目次

なぜ文章を書くのって辛いのか?

なぜ文章を書くのって辛いのか?

まずなぜ文章を書くのって辛いのでしょう?

それは文章を書く=考える、だからなんですね。

そこまでしてみんな何を書いているのかって、要するに自分の考えを書いているわけなんです。

ブログ記事でもクライアントからお願いされた案件記事でも、企業でのメディア戦略でも、LINEやメルマガでもなんでも。

仮にそれがイヤイヤ誰かに依頼された案件であっても、伝えたい思いが強くあって自ら書きたいと思った時であっても。

文章を書くとなったら、とにかく自分の考えや思いを書いていくわけです。

なので自分の考えがまずないことには文章を書くことはできません。文章は成り立ちません。

逆に考えがたくさんあって、またそれを誰かに伝えたいといった気持ちも強い状態。これがスラスラ書ける状況です。

私は考えることが嫌いです。生活の中で1番嫌いです。

そんな人間が文章を書いているわけですから辛いに決まってるんです。笑

何も書けない状態というのは、これから書こうとしているトピックに対して、本人が何も考えられていないからなんです。

またただ考えるだけでなく、言語化できるまでに考えられていないからなんですね。

その根本的な原因として、これから書くトピックに対しての本人の知識が不足しているから、勉強が不足しているから考えるまでに至らないのです。

そこを考える。たくさん考える。言語化できるほど考る。またその前段階の勉強やインプットを強める。このような状況を事前に作っておくことができれば文章はスラスラ書けるようになるわけです。

このことに気づけると、文章に対して1つアプローチの方法が定まったような気がしてきます。

何を書けばいい?

何を書けばいい?

しかしそもそも考えるとは何か?あるいは何をどう考えたらいいかわからない、そういった状況にも当然陥ると思います。

そんなときは「物事の仕組み」についてまずは考えてみましょう。

なぜならこれから言わなければいけないこと、あるいは書かなければいけないことというのは、どんなトピックにおいても「物事の仕組み」だからです。

というのも私は文章が持つ本来の役割というのは「これから起こるであろう、あるいはこれまでに起こった状態」を示すためにあるものだと思っているんですね。

それを仲間に共有したり、webで発信したりする。

どんな文章にしろ、そこで言わなければいけないことというのはこのどちらかの状態だと思っているんです。

むしろこの世界にはこのどちらかしかないわけです。それを示すのが文章だということです。

また状態というのは、例えばリンゴが重力によって木から落ちるといったように、この世に古くから伝わる因果の法則に従って起こっているものです。

あるいはこれから起こるものです。

この因果の法則に着目し、その際の原因と結果をまとめればこの状態というのはわかります。

文章で書くべきことは「状態」。またその状態というのは因果の法に基づいて起こっている。

こういった物事の仕組みさえわかっていれば、あとはその仕組みに沿って文章を書くだけで良いので、誰でも文章は書けると踏んでいるんです。

文章においては書くべき正解はこの「状態」で、その状態の仕組みは「因果の法則」という同じ成り立ちによって作られております。

つまり原因と結果です。

どのトピックにおいても書くべき内容がこの「状態」であるというのは疑いようのない事実で、またそれが明らかなのであれば、今回の考え方という部分においてもその「状態」を明らかにしていくことを考えればいいだけなのです。

これは言い方を変えれば「論理的」であるということです。先ほども言いましたが「状態」を作っている因果の法則というのは、特定の原因があって、その結果となるわけです。

これが逆行することは決してなく、確実にそうなのです。これを論理的と言います。またこの論理的が物事の仕組みであり、我々が文章を書く際に注意すべきことです。

このことについては芥川賞作家の「丸谷才一」さんも文章読本という作品の中で言及されております。文章というのは論理的でなければならない。逆に論理的であればそれは立派な文章なのだと。

なぜ文章は論理的でなければならないのか?そのことについては後ほどさらに詳しく述べるとします。

文章の正解

文章の正解

文章は言葉の連続です。そもそも言葉以前の発声というのは、かつて我々の祖先であるホモサピエンスが仲間に危険を知らせるために編み出されたものです。

つまり言葉とは本来、目の前の状況の説明のために必要となるものなんです。それが書き物に変わったもの。これが文章です。我々が会話や文章でもなんでも、言葉を用いて行うべきことは繰り返しとなりますが状況の説明なんですね。

なので目の前で起きている状況を、大袈裟な言い方をすれば「大自然の活動」をそのまま言葉にかえ、文章にすればいいのです。

それを行えば自ずとその文章は論理的となるし、書くべき内容としては正解です。

なぜなら状態というのは確実に因果の法に従って発生しているからですね。

だから文章というのはこのことを念頭においておけば誰でも書けるということなんですね。

この世界にはこれから起こること、すでに起こったこと。このどちらかしかありません。

文章を書くにおいてもこのどちらかの内容しかないわけです。

それを伝えるのが文章なので、だから文章というのは論理的でなければならないということであり、また論理的であればそれは文章ということであり、また我々が文章を書く際に意識すればいいことはこの論理的であるということなのです。

私は文章や言葉というのは状況を説明するためにあるということを抑えていれば、仮に文章力がなくても文章は書けると思っているのです。

そこがわかれば書くべきことは自ずとわかるし、文章において正解(論理的であるということ)がわかったのだからあとはそこを忠実に守っていけばいいからです。

わからないも立派な書くべき対象。

なのでこの仕組みを理解すればどんなことでも書けるようになるんですよ。ここを理解していれば仮に全く知見のないトピックに関しても書けるということなんです。

文章で書くべきことが状態だというのであれば、その状態を作っている因果を確認すれば、あとは誰でも書くことができます。

今のことについて具体例を見てみましょう。

「今私は静かな自分の部屋にいる。隣人がシャワーを浴びているのがわかる。そして冬のせいかその給湯のためにボイラーが鳴っている」と書ければいいですが、人によっては語彙が不足していてそれが書けないこともあるでしょう。

そんな時は「今部屋にいてなんだか分からない、何か変な音がしている」。これでいいわけです。因果の方がきちんと示されていて、状態が的確に述べられております。

これも立派な文章となるわけです。

「シャワー」や「ボイラー」といった固有名詞の存在を知らなければこういった文章になってしまうことも全然あり得る話です。

しかしそうだとしても、それは実際の状況を表しているわけです。

「シャワー」や「ボイラー」なんて言葉知らなくてもいいわけなんです。

文章執筆において、このような状況に陥ることはよくある話です。

しかし詳細の語彙が分からなくたって、意味は通じる。状態は表せている。文章の目的は達せられているわけです。

良い文章にそもそも定義はありません。持論ですが、良い文章とは状態をきちんと説明できていることだと思っています。そしてそれができていれば論理的であるということなので、誰でも理解ができるので、それで文章の役割は終えていると思っています。

なので文章はこのことを理解し、それを応用すればいいんですね。

例えば「〇〇について書きなさい」とお題を出された時、あなたはその〇〇についてわかっている「状態」をただ書けばいいだけなのです。

しかしその際情報が何もなく、何も分からない。しかし分からない中でも、例えば先ほどの「今部屋にいてなんだか分からない、何か変な音がしている」のように、少しでもその状態について触れてることができたなら、それは立派な文章だということです。

分からないながらでも文章のあるべき形で掲出することができ、この状態を書くことができたなら立派な正解なんですね。立派な文章なのです。

文章力のある人とは?

文章力のある人とは?

ここまでの内容を踏まえて本当に文章力がある人ってどういう人なのか?について考えてたいと思います。

これまでのことを踏まえ、私の思う文章力のある人、あるいは文章が巧みな人というのは、世界を言葉に例えるのが上手い人。つまりたくさんの言葉を知っていて、その状況に対して的確な言葉の表現をずばりできる。そんな人が文章力のある人だと思います。

書くべき内容というのは常に状態であって、その状態が分かりやすく確実なものだったら、それに越したことがないからです。

「今部屋にいてなんだか分からない、何か変な音がしている」。文章はこれでいいわけですが、それを読んだ人からすれば、やはりもっと詳細な説明が欲しいと思ってしまいます。

なんでうるさいんだろう、何がうるさい原因なんだろうといった疑問も生まれてきますよね。

そこを丁寧に説明してあげる。丁寧に説明できる。

読者に疑問を抱かせないようにしてあげる。それが良い書き手かなと思います。

あとはやはり、論理的であるということ。このことを何もよりも意識しているひと。

物事というのは1つにつながっている。これが世界の仕組みです。

この煩雑としたカオスな世界を1つにまとめ上げることのできる人、本来の世界のありかたに持っていける人。

これがやはり文章力の高い人かなと思います。

どんなものでも繋げてしまう。一見関係のなさそうなトピック同士でも繋げてしまう。世界の真実を文章によって歌い上げてしまう。なんでもかんでも繋げてしまう。繋げる力のある人。

一言で言えば論理的な文章を書ける人、これなのかなと。

読んでいて気持ちの良い文章や読んで良かったと思える文章って、納得できる文章なんですね。

その納得ってやっぱり理にかなっているから納得するわけです。そしてその理にかなっている状況というのは我々を囲む日常、つまり目の前の状況が生み出しているわけです。

なのでその世界の秩序を徹底して守り、論理的な状態を文章にしている。余すことなくその状態を伝えていく。すると自然と理にかない、理に叶うから納得が生まれるのです。

良い文章に定義がないように、文章力にも定義はありません。

真実を見ようとする目、そしてそれを表そうとする意思のある人。カッコつけているわけではありませんが、私はこれを持っている人が文章力のある人だと思っています。

私が文章を書く理由

最後のこの部分は余談です。

皆さんにとってはあまり参考にならないかもなって思いながら書いてます。

ここでお伝えするのは私が文章を書く理由についてです。

人はなぜ文章を書くのでしょうか?ブログで広告収入を得るため?SNSで注目を浴びるため?会社で文章発信の業務を任されているため?それぞれあることでしょう。

文章を書く理由、その目的は本当にさまざまです。私の場合はもちろん個人ブロガーですので、収入を得るために文章を書いているし、そこでは多くの人に読んでもらえるような文章をかけなければいけません。

文章力は低いより高い方が当然よく、生きていくためにこの文章を書いている、文章力を磨いているといった感覚です。

しかし一方で我々が本当に文章を書く目的はそんなお金のためではないはずと思っている自分もいたりします。

やっぱり文章が好きです、私は。

小学校のとき初めて図書館で本を読んで、その世界に魅了されました。またゲームも好きで登場人物が発するセリフ、アニメも同様に。

そこでの文章や言葉に毎回ときめいていました。今のこの自分を作ってくれたのはそういった過去の文章たちのおかげで、文章にはそういった人に夢を抱かせる不思議な魅力があると思っています。

中には本当に忘れられない表現やセリフもあって、それが今も私の中にちゃんと残っていて今も自分を支えてくれているそんな感覚がします。

いつからか私もそんな誰かを支えられる表現がしたい、言葉を残したい。そう思うようになりました。

きっと私にしか言えないこと、私だから言えることというものがきっとあると信じるようになったんです。

この世界に自分はたった1人しかおらず、その1人1人みんな違った環境で生きています。世界には全く同じ人物などおらず、価値観や思考も全く違います。

あなたが経験したつまらないこと。しかしそれは誰も経験ができないことだし、そこではその人にしか言えないことが必ずあるはずなんです。

それを文章はすべて拾い上げてくれます。あなたの代わりとなって世界を羽ばたく、それが文章です。今はインターネットがありますから、あなたの発言や価値観、人生そのものを世界中に届けることも可能です。

しかもそんな文章は誰もが書けます。ゲームなんて作れないし、アニメも作れません。しかし文章なら誰もが書ける。

そんなこんなのことを私は最近考えるようになり、そしていつからか私には伝えなければいけないことがある。それを伝えなければいけない。そのために文章を書いているし、世界中のみんなにその文章を届けるために文章力を磨いている、そういった気概が生まれるようになりました。

「それ」を言うために、あるいは「それ」を書かなければいけないから書く。私にとっての文章を書く理由というのはこれなんだと今ははっきり言えるようになりました。

あなたにとっての文章もきっと同じのはずです。

何を書けばいいのか分からない。

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